熊一頭を、どこまで使い切れるか「ASIAN BLACK BEAR / BACK-ZIP BOOTS」
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日本の山に棲むツキノワグマを、最近ではニュースで目にすることが増えた。
山から人里へ下りてくる。農作物を荒らす。人と接触し、時には人身被害につながる。
クマの生息域や出没をめぐる問題は、単純に「クマが増えた」「人間が山を壊した」と一つの理由で語れるものではない。餌となる堅果類の豊凶、森林や里山の環境、人の生活圏の変化など、いくつもの要因が重なっている。環境省も現在、クマ類について保護だけではなく、被害を防ぐための計画的な捕獲・管理を行っている。2024年には、四国の個体群を除くクマ類が「指定管理鳥獣」に追加された。
ここで考えたいのは、クマを捕獲するべきか、守るべきかという二択だけではない。
すでに人との生活圏が重なり、捕獲される個体が存在する中で、その命から得られるものをどう扱うのか。
肉として食べるのか。
皮を革として使うのか。
あるいは、それらを使わずに終わらせるのか。
ieribが野生動物の革を扱う理由は、この問いの延長にある。
熊は、革になる前から存在している
革製品だけを見ていると、その素材がどこから来たものなのかを忘れてしまう。
しかし革は、最初から「革」として存在しているわけではない。
動物の皮膚だったものを、人が受け取り、鞣し、素材として使える状態へ変える。
熊革も同じだ。
今回使用しているのは、害獣駆除によって捕獲されたツキノワグマの皮。
希少な動物だから使うのではない。
熊を革にするために捕獲するのでもない。
人との軋轢の中ですでに捕獲された個体から得られる皮を、廃棄せず、素材としてもう一度使う。
その順番が重要だと考えている。
日本では、捕獲された野生鳥獣を食肉として利用する「ジビエ」が広がっている。農林水産省も、捕獲された個体について肉だけでなく、皮・角・骨などを含めた多用途利用を推進している。
熊肉も例外ではない。
地域によってはツキノワグマが食肉として処理され、実際に販売されている。石川県では現在もイノシシ、シカと並んでクマ肉がジビエとして販売されている
一方で、熊肉には野生動物ならではのリスクもある。国内ではツキノワグマ肉を原因とする旋毛虫症の食中毒事例が報告されており、行政も十分な加熱を呼びかけている。
つまり、熊を食べるという文化は存在する一方で、野生動物を食材として扱うには家畜とは異なる衛生管理が必要になる。
食べられるものは食べる。
使えるものは使う。
その考え方は、単純な「サステナブル」という言葉だけでは少し軽い。
目の前にある一頭の命を、どこまで無駄にせず使い切れるかという、もっと直接的な話だと思っている。
皮膚だったものを、革へ
今回使用したのはツキノワグマの革。
熊の革は、一般的な家畜革のように均一ではない。
一頭ごとに違いがあり、部位によって厚みや密度、皺、肌理も異なる。
表面に残る細かなシボや不均一な表情は、工業製品として見れば「ムラ」と呼ばれるものかもしれない。
しかしieribでは、それを消すことを目的にしていない。
その皮膚が、かつて一頭の動物の身体に存在していたという事実そのものを素材の個性として残す。
均一な黒。
均一な厚み。
均一な表面。
そうした工業的な完成度から少し離れ、一頭ごとの差異を受け入れる。
左右の靴で表情が完全に揃わないのも、そのためだ。
同じものを二つつくるのではなく、一頭から得られた皮を一足の中に残す。
クラストから、完成後に墨を入れる
このブーツには、もうひとつ通常の革靴とは異なる工程がある。
革を黒く染めてから靴をつくるのではない。
着色や仕上げを施していないクラストの状態から、まず一足のブーツとして組み上げる。
そして完成した立体の靴そのものを、日本の墨で染める。
平面的な革を染めるのではなく、すでに立体になったブーツを染めるため、墨は均一には入らない。
革が折れた部分、縫製された部分、強く墨を吸う部分、反対に薄く残る部分。
黒の中に灰色が現れ、地の色が覗き、場所によって濃淡が生まれる。
それは失敗ではなく、この工程そのものがつくる表情だ。
さらに履けば、摩擦によって墨が少しずつ落ちていく。
革本来の色が現れ、そこに汚れや油分、傷、艶が重なっていく。
熊革そのものの経年変化と、墨染めの退色。
二つの時間が同時に進んでいく。
最初から完成された黒をつくるのではなく、履くことで完成形が変わっていく。
道具としてのブーツ
アッパーとソールには、ステッチだけではなく釘を用いたネイル構造を採用した。
トゥからウエスト、ヒールへ連続する釘は、単なる補強ではなく、構造そのものを外側に見せるディテールになっている。
積み上げたレザーヒール、荒く残したコバ、均一ではない熊革。
それぞれを過度に整えず、使い込まれることでさらに表情を変えていく道具として組み上げた。
サイドには金属パーツを設け、靴内部の湿気を逃がす機能も持たせている。
バックファスナーによって細身のシャフトを保ちながら着脱できる構造とし、装飾だけではなく、履くための機能もひとつひとつ形にしている。
ieribが革を使う時、いつも考えているのは「革を使ったものをつくる」ことではない。
その素材だからこそ成立するものをつくること。
熊革だから残る表情があり、墨だから生まれる濃淡があり、釘だから成立する構造がある。
素材を均一な工業材料として扱うのではなく、その素材が持っている性質をできるだけそのまま受け取る。
食すことと、鞣すこと
動物を素材として扱うということは、きれいな話ではない。
肉は食べられ、皮は革になる。
そこには、人間が他の生き物の命を利用して生きているという事実がある。
だからこそ、革だけを切り離して考えることはできないと思っている。
農林水産省が進めるジビエ利用も、捕獲された野生鳥獣を肉だけでなく、皮や骨などまで含めて利用することで、命を無駄にしないという考え方につながっている。
もちろん、すべてを「有効利用」という言葉だけで肯定できるわけではない。
野生動物の管理には、生態系の保全、人身被害、農林業被害、地域ごとの個体数など、さまざまな問題が絡んでいる。だからこそ、捕獲そのものについても科学的かつ計画的に考える必要がある。
その上で、すでに捕獲された一頭があるなら、その一頭から得られるものをできる限り使い切る。
肉を食す。
皮を鞣す。
残ったものにも用途を探す。
「狩る」「食す」「鞣す」「創る」。
それぞれは別々の行為ではなく、ひとつの命を起点とした連続した行為として考えている。
一頭の痕跡を残す
大量生産される革は、均一であることが価値になる。
同じ厚み、同じ色、同じ表情。
けれど、野生動物の革には、それとは反対の価値がある。
一頭ごとに違う。
部位によって違う。
傷がある。
皺がある。
密度が違う。
そして、その不均一さを完全に消してしまえば、わざわざ野生動物の革を使う意味も薄れてしまう。
だからieribでは、その痕跡を残す。
今回のブーツに使用したツキノワグマの革も、墨染めによる色の揺らぎも、釘による構造も、すべて一足の中に残した。
それは「熊革を使った珍しいブーツ」をつくるためではない。
一頭の動物から得られた素材が、皮から革へ、革から靴へと姿を変え、その先も履く人の時間の中で変化していく。
その過程そのものを残すためだ。
革は、生きていたものの痕跡を持っている。
そして道具になった後も、使われた時間を新しい痕跡として重ねていく。
ASIAN BLACK BEAR / BACK-ZIP BOOTS
一頭の皮膚を、一足の道具へ。
狩ることから始まり、食すこと、鞣すこと、創ること、そして生きること。
そのすべてが途切れずに続いていくために。